NHK歴史秘話ヒストリア【三好長慶】
2019年6月19日放送分は、
「信長より20年早かった男
最初の”天下人”三好長慶」
と題し、織田信長に先駆けること20年
最初の”天下人”と呼ばれた
四国・徳島が生んだ戦国武将
三好長慶のエピソードが紐解かれました。
戦国時代、天下人の定義は、
都の京やその周辺の地域を治める事でした。
その為、三好長慶が織田信長や豊臣秀吉を差し置いて、最初の「天下人」と云われています。
織田信長が最初と思われていた
● 戦における鉄砲の使用
● キリスト教の布教公認
● 200年続いた室町幕府の打倒
などの偉業の数々は、実はこの長慶が先を越していました。
にも関わらず織田信長の影に隠れてしまった
幻の天下人・三好長慶の生涯が紐解かれました。
この投稿では、
信長より20年早かった男・最初の”天下人”三好長慶?を
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Episode1 戦国最初の革命児あらわる!
三好長慶は幼くして壮絶な人生を送る事になりました。
【1532年(天文元年)】三好長慶11歳
父・三好元長は細川晴元に仕える京都周辺で活躍する戦国武将でした。
ところが周囲の国から囲まれ、
息子の三好長慶を生まれ故郷の阿波(徳島県)藍住町へ逃しました。
これが父・三好元長との別れでした。
細川家は室町幕府のナンバー2である
管領(かんれい)を務める家柄です。
細川晴元は、三好元長の事をよく思っておらず
三好元長に対し
10万人にもおよぶ一向一揆勢を差し向け
顕本寺(けんぽんじ)で
三好元長は自害しました。
11歳にて三好家を担うこととなりました。
長慶は、細川晴元に仕える事となりました。
3年も経つと立派な武士に育ちました。
画像出典:関西・大阪21世紀協会
https://www.kansaibunka.com/
【1539年/天分8年】三好長慶は、18歳で兵庫県西宮市・越水城(こしみずじょう)の城主となりました。
STEP1 実力本位の【人材登用】
越水城の城主の立場は
伊丹や池田などを収める国衆(くにしゅう)と呼ばれる有力領主達を収める立場にありました。
ところが戦に招集しても実績の無い長慶の命令を聞きませんでした。
そこで長慶は、様々な能力を持つ人材を集める事にしました。
当時、家柄では無く「実力本位の人材登用」は画期的な事でした。
この人材の中には後の側近となる土豪・松永久秀(ひさひで)の存在がありました。
後に松永久秀は、知恵を武器に大名や朝廷相手に対する交渉相手として活躍する事となりました。
松永久秀は、頭角を現し、織田信長を手こずらせる豪傑となりました。
STEP2 宗教勢力との連携【経済活動】
尼崎市・法華宗本興寺(ほんこうじ)
寺との取り決めである禁制を収め、
その禁制の中では、三好の軍勢が狼藉を働かないなどを保証し、自治を認めました。
本興寺は近畿から九州まで多くの末寺を持つお寺でした。
更に信者(檀那・だんな)は、東アジアにまで貿易ルートを持っており、東南アジアと日本との貿易の流通の担い手となっていました。
三好長慶は、その東南アジアとのネットワークに目を付けて自らの経済的な基盤を目指しました。
貿易品の目玉は「鉄砲」でした。
「鉄砲」で越水城の防御を固めたのは長篠の戦い(1575年/天正3年)に先駆ける1500年でした。
こうして長慶は、戦国の革命児としての頭角を現し始めました。
STEP3 兄弟の絆で【広域支配】
弟に実休(次男)、冬康(三男)、一存(四男)の3人が居ました。
すぐ下の弟・実休(じっきゅう)に本家である阿波・勝瑞城を任せました。
冬康(ふゆやす)には淡路の海賊衆である洲本城主・安宅治興の養子に送りました。
一存(かずまさ)を讃岐十河城主・十河景滋(そごう-かげしげ)の養子に送りました。
こうして摂津・阿波・讃岐・淡路を固める事により瀬戸内海に影響を及ぼすネットワークを構築しました。
大阪湾は首都であった京都の玄関口となる非常に重要な地域なので戦う時は援軍を送ってもらうという形で支配を開始しました。
こうして、人材確保・経済活動・広域支配で力を備えました。
長慶の実力は
三好に頼らなければ信長は成功しなかった
(武辺咄聞書/ブヘンバナシキキガキ・1680年)
とまで謳われていました。
しかし、歴史的な評価は一変しました。
幕末の日本史「日本外史(1829年)」では
織田信長の勝つためには何をしても良いという高い評価が有り、長慶に関しては殆ど評価していませんでした。
その為、現在は信長より才能があった長慶は知られることはあまりありません。
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Episode2 誕生!戦国最初の「天下人」
細川晴元は、越水の最も豊かな国集・池田家を自分のものにしようと当主を自害させる事件が起こりました。
この横暴に近畿や四国などの国衆は動揺し強い不信の念を抱きました。
長慶はこれを細川晴元を討つチャンスと捉えました。
そして近畿・四国の国集の利益を幕府から守るとの大義を掲げました。
この大義により幕府に不信を持つ多くの武士の信頼を勝ち取りました。
【1549年/天文18年】6月、長慶28歳の時
摂津の三宅上の細川晴元と冬康(三男)、一存(四男)が対峙し
そして、江口の細川晴元の側近であり主力勢の三好長政と長慶が対峙し、三好長政の首を討ち取りました。
その結果、細川晴元は足利義輝と共に京都を逃れ近江に落ち延びました。
こうして畿内8カ国を収める実力者となっただけで無く、父親の無念を晴らす事となりました。
【1551年/天文20年】3月、長慶30歳
室町幕府の重臣からの信頼を寄せられる様になっていました。
そんな折、長慶は、細川晴元と足利義輝の刺客に襲われ、妻の父親も暗殺されました。
報復に出る事が予測されましたが、長慶は足利義輝を京に迎え入れるという予想外の行動に出ました。
その理由は、
戦乱を終わらせたい
との考えがあったからだと考えられています。
それは、足利家、細川家、畠山家などの幕府の首脳陣がそれぞれのお家で分裂して戦を繰り広げていました。
長慶は足利を一本化する事により平和を作り出そうとしていたのでした。
例えば、足利家に関して父の代から使えていた義綱では無く、義輝を支持するなど多くの人が納得する様につとめ、幕府をもり立てようとしたのでした。
しかし・・・
【1553年/天文22年】3月、長慶32歳
足利義輝は京の霊山城に立てこもり長慶を攻める姿勢を見せました。
自ら城を焼き近江に逃れました。
この事件から自ら国を治める事を決意しました。
ここに戦国最初の天下人が誕生しました。
現・大阪府高槻市「芥川山城」を拠点とし、天下の政を行いました。
キリスト教の布教を許可
政の一つとして、キリスト教の布教を許可しました。
その理由には医術などの西洋の先進的な技術をもたらす事を期待していたと云われています。
南蛮文化を受け入れた織田信長よりも先んじて西洋の文化を取り入れていたのです。
灌漑用水の権利の裁判
現・高槻市内を流れる芥川の灌漑用水の施設で、水をよそに引いたり、水量を調節するために、川水をせき止めある井堰(いせき)の場所をめぐった水争いの様子についての判決を三好長慶自信が下しました。
その判決状「三好長慶水論裁決状及び三好奉行衆連判裁許井手絵図」は、「郡家区有文書」として大切に保管されており、昭和58年11月、高槻市の有形文化財に指定され保存されています。
画像出典:高槻市HP
http://ur2.link/UOab
これまでは灌漑用水の権利は村民の間で話し合いで決まっていましたが、その話し合って決める権利を没収し、長慶自らがその裁決を行うことで、自身の地位を確立していくための専制政治の手段と捉えられています。
全国を収めていないのに「天下人」と呼ばれた意味は?
三好長慶は、近畿や四国を含む11カ国のみを治めていただけにも関わらず「天下人」と呼ばれてました。
長慶の頃の天下の意味は現在の全国を治めるという意味とは違っています。
ポルトガルの宣教師の手紙には
「五畿内の領主が天下の領主」
と記されていました。
それは天下は全国を治めるのでは無く
都の京を中心とした
大和、山城、和泉、河内、摂津の五か国を収めている事が天下を治めるということだったからです。
Episode3 先駆けの天下人 その栄光と挫折
【1558年/永禄元年】正親町天皇(おおぎまちてんのう)
永禄の改元を発表する際に三好長慶が代表者として選ばれました。
これまでは改元は、公家が担当していましたが
すでに長慶が政権を担当でき、将軍に匹敵する格を持っているとの証明にもなりました。
天皇の信頼の証拠となるのが、堺市南宗寺にある長慶の銅像の背中に刻まれた桐の紋です。
南宗寺にて境内を案内していただいた後、念願の三好長慶殿に相見えることができました🙏わぁ〜い🙌 pic.twitter.com/x20xZjm7LT
— はしもとはしこ@LINE絵文字はじめました (@hasiko_HSMT) 2018年7月16日
40歳の時、長慶は天皇により、この桐の紋を使う事を許されました。
桐の紋は天皇から、足利将軍や織田信長、豊臣秀吉などの歴代の世を治める実力者に送られる紋でした。
しかし、この頃から長慶に不幸が続きます。
長男・義興が難病で無くなりました。
それ以前に、実休、一存と二人の弟も亡くしていました。
後継者選び
そこで、お家安泰の為の策を講じました。
1番目の弟の一存の息子三好義継を後継者に選びました。
2番めの弟・冬康を差し置いて指名したのは
義継の母親が名門・九條家の出身である事も天下人として相応しいとの判断材料になりました。
それだけでなく、飯盛山の城に、2番めの弟・冬康を呼び出し暗殺しました。
それは、家柄の良いお坊ちゃんの義継か?
戦の時に頼りになる冬康か?
と家臣達が分裂するかもしれないので芽を取り除いておかないと、足利家や細川家の様になってしまい世を乱してしまうとの苦渋の決断だったと考えられています。
【1564年/永禄7年】7月4日三好長慶は病に倒れました。
享年34歳。
【1573年/天正元年】皮肉な事に、三好家は分裂、11月16日、織田信長により三好義継は自害に追い込まれました。
これにより三好家の天下は終わり、織田信長が新たな天下人となりました。
【1568年/永禄11年】現・大阪府高槻市の嘗て三好義継が天下を収めた「芥川山城」を京都に向かう織田信長が現れ10日程滞在しました。
それは信長が、新たな天下人となった事をアピールする為だったと考えられています。
三好長慶を大河ドラマに!
徳島県徳島市や大阪府大東市では
2022年の三好長慶生誕500年に向け
「三好長慶をNHK大河ドラマに」
と呼びかけるポスターやチラシを作成、イベントなどで市民運動も行われています。
画像出典:関西・大阪21世紀協会
https://www.kansaibunka.com/
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