ファミリーヒストリー 薬丸裕英は戦国時代の武将・薬丸兼将の末裔か?再放送や見逃し動画配信とネタバレと家系図!

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この投稿では、NHK ファミリーヒストリー・薬丸裕英さん「薬丸裕英~やんちゃな魅力を受け継いで~」の放送内容のまとめや家系図と見逃し動画配信をご案内します。

今回のァミリーヒストリー「薬丸裕英~やんちゃな魅力を受け継いで~」は、元シブがき隊のヤックン事、俳優・タレントの薬丸裕英さんのルーツを探りました。

薬丸裕英さんの父方のルーツは戦国時代の鹿児島県大崎町の肝付氏の家臣として竜相城(旧大崎城・旧井出田城)周辺を守り薩摩の島津氏と争っていた武将である事が判明しました。

【本放送】2021年11月23日(月曜日)19時30分~20時42分 (72分)
【再放送】未定

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「薬丸裕英~やんちゃな魅力を受け継いで~」あらすじ

薬丸裕英さんの出身地は東京都出身ですが、ご両親は共に鹿児島県のご出身です。

鹿児島県で薬丸裕英さんのルーツを探ると、薬丸裕英さんの父方「薬丸家」のルーツは、戦国時代の武将である事が判りました。

その戦国武将の名は、薬丸 兼将(やくまる かねまさ)。

現在の鹿児島県大崎町の竜相城(旧大崎城・旧井出田城)周辺を守っていました。

薬丸兼将は、当時「高山城」城主で大隅半島を制するほどの勢力を持つ「肝付兼続氏(きもつきかねつぐ)」の分家の武将で肝付氏の家臣で「家老」でもありました。

その薬丸兼将の父親は、薬丸兼将(かねまさ)、またの名を薬丸孤こうん雲(湖雲)と名乗り、戦国期屈指の名将と呼ばれていました。

薬丸 兼将は剣術にの達人で、肝付氏の剣法「野太刀」を伝えていました。

後年「野太刀」は薬丸氏の名から「薬丸自顕流」という流派となりました。

「薬丸自顕流」は防御の技が一切なく、その攻撃力に「新撰組」が唯一恐れた剣術とも伝えられています。

薬丸兼将には、息子の薬丸兼成(やくまるかねしげ)がおり、やはり「野太刀」の名手だったそうです。

島津氏と肝付氏の覇権争い

薬丸氏が守っていた大崎は、海上交易の要所の一つで、大崎の地を手中に置くことは、大隅半島における覇権を獲得する事を意味しています。

その為、薩摩の島津氏(飫肥の島津家第5代当主島津忠親・ただちか)と肝付氏との間では争いが数度起こりました。

天文23年(1554年)の竜相城襲撃と弘治二年(1556年)に島津氏が大崎を攻め入り、薬丸兼将も肝付氏の家臣として竜相城を守る為、迎え撃ちました。

2回めの戦である弘治二年の「戦ヶ島の戦い」では、大群を率いる島津氏と激戦となり、薬丸兼将は、島津の武将・大野出羽守(おおのでわのかみ)と一騎打ちとなり絶命しました。(享年22才)

一方、大野出羽守も瀕死の重傷を負い、大崎町下益丸で自害しまいました。

戦国の時代~江戸時代は終わり、明治になると薬丸家は武士の身分を失い、厳しい状況が続くも懸命に生き抜いたそうです

薬丸裕英さんの父方の家系図

薬丸裕英さんに対する父親は寡黙な父親像でした。

そんな寡黙な父親も少年時代はやんちゃ者だったそうです。

薬丸裕英さんの母方の家系図

薬丸裕英さんの母方の先祖は、離島から大隅半島に移住し、苦労を重ねたことが判明しました。

ファミリーヒストリー見逃し動画配信

ファミリーヒストリー「薬丸裕英」は再放送は未定です。

見逃した方や、もう一度ご覧になりたい方は、見逃し動画配信で観る事が出来ます。

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